犬は愛の形をしている


「え……? うそ……。ここは天国ですか?」
 そうつぶやいて立ちすくんだおれの目の前には、大小さまざまな犬が四頭いた。きれいな毛並みにかわいらしいマズル、物音に反応しては小刻みに動く耳。きっかけは、シャイロックのとある言葉だった。
「賢者様を驚かせてみようという話になったんです」
 授業の一環で。いかにも正当性がありそうでまっとうに見える説明をされたとて、おれが思い出すのは数か月前のある出来事だった。あのとき、賢者様の口から心臓が飛び出てしまうぐらい驚かせてみせる。そういわれて自室の扉を開けると、目に飛び込んできたのは美青年四人の全裸姿だった。
 西の魔法使いの常識にとらわれないアバンギャルドなところは彼らの長所だと躊躇いなく言えるけれどそれでも人を巻き込むときは節度という言葉を頭の片隅にでも置いておいてほしいものだ。他の三人はまだしも、特にシャイロックは当時秘めていたおれのクロエへの気持ちを知っていたのだから尚のこと。
 とはいえ、目の前の種類様々な犬たちは彼らが変化の魔法を使っている結果だ。おそらくどれだけ本物の動物っぽく変身できるかを競っているのだろう。しかしその内容が、まさかおれが一番好きな犬だとは。今回はまったくいい意味で度肝を抜かれてしまった。彼らの視線に合わせるように――実際は感動のあまり立っていられなかったのが理由のほとんどだが――膝をつくと、彼らはトコトコとおれの周りに近寄ってくる
「う、ウワ……待ってやばい……かわいい……はあ……。こんなことある? ありがとう……生きててよかった……」
 もはや一体なにに感謝をしているのかわからないうわ言を吐きながら彼らを観察する。あまりの感動で震える手に鼻先を近づけている、野良猫と同じくらいの白い犬はきっとシャイロックだろう。おれの足に前足をかけて遊んでいる、毛先から根元にかけて毛色が濃くなっていく中型犬はムルで、銀色にも見える白い毛を、鷹揚な足取りで優雅にたなびかせている大型大はきっとラスティカ。
 クロエは――クロエは、おれの脇から鼻先を突っ込んで、つぶらな瞳でこちらを見ていた。立ち上がれば子供よりも背が高いだろう大きな体は深い栗毛色で、しっかりとした硬い毛質が服越しに伝わってくる。
「――く、クロエ……!」
 感動に震えた声で呼ぶと、顔を突っ込むために伏せていた耳と、骨太の尻尾がピンと立った。なんと言おうか、完壁に完全で一片の瑕疵もない、いろんな意味でおれ好みの、とてもかわいいワンちゃんだった。
「――…すごい! 賢者様、どうしてわかったの? ……あっ、喋っちゃった……!」
 恥ずかしそうに顔をうつ向かせる犬――もといクロエ。その姿はとても愛らしくていじらしい。おれの胸は撃ち抜かれっぱなしで、もはや苦しみの域に達している。
「いいんだよクロエ! おれの中では犬は吠えてもしゃべらないっていうのがスタンダードだけど、喋るわんちゃんもそりゃもうかわいいと思うよ、最高だよクロエ!」
 自分でも興奮で何言ってるかわかんなくなりながら犬の姿になったクロエを抱きしめる。しっかりとした骨格を包んでいる毛皮。毛並みを撫でる度にちくちく刺さる感触がたまらない。
「では、今回の勝者はクロエですね」
 いつのまにか、クロエ以外の三人は変化の魔法を解いていた
「賢者様の寵愛を勝ち取るだなんて、やっぱりクロエはすごいな」
 穏やかな微笑みを浮かべてラスティカは言った。おれは首回りをかきまぜるように撫でていたのを止めて聞き返す。
「……寵愛? うまく犬に変化できるかじゃなくて?」
「ええ。誰が最も、賢者様の寵愛を受けられるような愛らしい犬に変化できるか、という課題内容でした」
「猫の姿で、っていう条件だったら、俺も自信あったのになぁ」
 惜しかった! とあまり悔しそうではない様子で言いながら、にゃーん。にんまりとムルが笑った。


2020/10/08