きみの好きなところひとつ!

 ルチルから、賢者様はフィガロ先生と一緒に、シャイロックさんの酒場に行ったみたいですよ。という情報をもらい向かうとその通りだった。ただいつもと違うのは賢者様がべろべろに酔っぱらっていたこと。ドアベルの音に振り向いた彼はにこにこと俺の名前を呼んで、いつもはムルがするようにカウンター椅子に座りくるくると回っていた。
「なになに? 賢者様どうしちゃったの。いつもはここまで酔わないよね」
「すみませんクロエ。賢者様に新作を飲んでいただいているうちに、つい」
「んふふふ、どれも美味しかったよ、シャイロック!」
「光栄です」
「ほら、賢者様。お迎えが来たんだし今日はもうお水飲んで寝たら?」
 賢者様の回転を止めてフィガロ様が優しく声をかけた。俺もそれにうなずいて賢者様の手を取る。
「賢者様、明日は市場にいく約束だったでしょう? あんまり遅くなってもいけないし、今日話し足りないことはまた次来た時にしよう?」
「うん……。つぎ、次だね……。」
 うなずいた賢者様は眠たげに目を細めたから早く帰らないと、と慌てたけれど、次の瞬間に彼はまた顔を上げて、俺ではなくシャイロックとフィガロ様に笑いかけた。
「思い出した! クロエのすきなとこ!」
「えっ?」
「明日とか、そのずっと先の楽しい話をしてくれるところがね、すっごく好き」
「えっ、えっ?」
 シャイロックもフィガロもそうでしょ? と賢者様が尋ねると、彼らは各々微笑を返して、それから俺を見た。何? なんなの? 俺が来るまでにどんな内容の話をしてたの?
 慌てふためく俺を後目に賢者様はお行儀よくごちそうさまでしたと挨拶をして、つないだままだった手をぎゅうと握って椅子から降りた。シャイロックとフィガロ様にぶんぶん手を振って店の出入り口まで歩いていくけど、その足取りはどこか不安定で彼の体を支えるようにして歩く。
 賢者様の部屋に戻るまでにもご機嫌な彼はあれこれ俺に話しかけたし、俺も必死になって返したけれど、酒場でのことが気になってどれぐらいまともに返答できていたかはわからない。
 俺の好きなところについて話してたの? 三人で? 賢者様が率先して? もしくはシャイロックとフィガロ様が聞き出そうとしていたの?
 やっとベッドに寝かせた賢者様はおやすみと言ったきりすぐ眠りに落ちてしまった。俺はというと、そのまま一緒に眠れる気なんてとてもじゃないけどしなかった。俺のいない場所で俺について話されていたという恥ずかしさと嬉しさは、ちょうど半分ぐらい。
「……けんじゃさまぁ」
 彼の寝顔をうらめしげにみつめても、頬をつついてちょっといたずらしてみても起きる気配はまったくない。
 先ほど彼に言った通り明日は朝早いのに、このまま眠れなくなってしまいそうだ。
 俺は一体、どうしたらいいんだろう。


2020/10/26