夜と朝の溶け合う頃

 まだ薄暗さの残る時間。くあ、でっかくあくびをしながら角を曲がったせいで誰かとぶつかった。たたらを踏みながら謝罪すると、赤いストールを羽織ったシャイロックが目を丸くしていた。
「うわっ、ごめん。よそ見してた」
「いえ、こちらこそ申し訳ありません。それよりも──」
 シャイロックがおれの髪に触れると彼の動作に合わせてふわりと涼し気な香りが鼻腔をくすぐる。香水だろうか?
「寝ぐせが付いていますよ。無防備な賢者様も愛らしいですが、もうすこし整えないと意地悪な魔法使いにからかわれてしまうかも」
「あ、うん、えっと、いまから直そうとしてたところで……へへ、誰かに会うと思ってなくて。シャイロックも早起きだね?」
「いいえ、私はいまから眠ります」
「遅寝の方なんだ。月と一緒に眠りにつくって、ちょっと雅かも……バーを開けてたの?」
「ええ。珍しく東の国の魔法使いがいらっしゃったものですから、私も閉店時間を忘れてしまって……ぁふ、失礼」
 と、シャイロックが小さくあくびを噛み殺したのがわかった。あんまりじろじろ見るのが失礼なのはわかっているんだけど、いつもスマートなシャイロックの表情はそれこそバーにくる東の魔法使い並みにとても珍しくて。少し幼ささえ感じるそのさまをしげしげと眺めてしまう。ほうけているおれを不思議に思ったのか、賢者様? とシャイロックに呼ばれてはっと我に返る。おれは少しいたずらっ子のような気分になっていた。
「んふふ、無防備なシャイロック、みちゃった」
「おや」
 彼は片眉を上げて、また寝ぐせを直そうとしてくれたのかぴょんと跳ねた髪を耳にかけられる。彼が耳元に顔を近づけると再びいい香りが漂って、囁く声は少し掠れていた。
「では、今朝のことは私たちだけの秘密ということにいたしましょう」
 彼の指先まで洗礼された所作に見惚れるあまり言葉が出なくなってしまった。ゆっくりとうなずくことしかできないおれにシャイロックはぱちりと片目を閉じて、廊下の向こうに消えていく。おれはしばらくその場に立ちすくんだまま、残り香まで軽やかな彼にため息を吐くことしかできなかった。
「……いつにも増して、ファンサがすごい……」


2020/10/27