午前三時のおやつ

 真夜中クッキングをしていたら、クロエが顔をのぞかせた。おれが眠れない末の時間なので時計を見なくても相当の時間だということがわかる。早起きだね、そう挨拶をしたら彼は遠慮がちな笑みを浮かべてお茶をいれに来たんだけど、とつぶやいた。
 早起きだね、と挨拶をしたものの、彼は次の任務のための衣装を作っていたはずだ。いくら魔法で服を作ると言えどデザインや材料を検討する時間も必要だし正気とは思えない納期なのだが、いつも間に合わせてくるから彼には頭が上がらない。かといって目の下に濃いクマを飼っている現状をスルーできるはずもなく、とりあえずお茶にしようかと、深夜とも早朝ともつかない時間のティータイムに誘った。
「賢者様、いつもこの時間まで起きてるの?」
「まさか。眠れないときだけだよ」
「そっか……。いただきます。……ん、わあ、甘いね、美味しい」
「よかった」
 今日の夜のおやつはつぶしたバナナを生地に混ぜたパンケーキだ。紅茶は彼が安眠できるようにとルチルからもらった茶葉をいれてくれた。さらにクロエの作ったシュガーをいれたそれは、夜特有の冷えに震えていた体にじんわりと染みわたっていく。ほっとする甘さだ。
「眠れないときは、一人でこうして料理をしてるの?」
「うん。日中はみんないるのに、なんにも物音しないから面白いなって思う」
「寂しくない?」
「うーんどうかなあ。たまに? でもなんていうか、それも味があるんだよね。詫び寂び? っていうか」
「……もしかして俺、賢者様の時間、邪魔しちゃったかな」
「ううん。たまにお客さんがいるのも楽しいなって、クロエが来てくれてわかった」
 首を横に振ると彼は顔をほころばせた。彼に伝えた言葉はどれも本当だし、なにより彼の気遣いがうれしかった。
 
 片付けも終えてクロエに声をかけようとすると、体が温まったのとこれまでの疲れもあるのだろうクロエは船を漕ぎ始めていた。肩にそっと触れれば、彼は大げさなくらいに体を揺らす。
「ご、ごめん。賢者様が片付けをしてくれてたのに。俺、まだ作業があるから、賢者様は先に眠って」
「えっ、その状態でまだ続けるつもりだったの」
「もうちょっとでキリが付くんだ、だから……」
「こらこらー」
 えい、と人差し指でクロエのおでこをつつくと、クロエの体は容易にふらついた。このまま部屋に返してもきっとクロエは聞かずに作業を続けてしまうだろう。ならば強硬手段をとるしかない。
「……賢者様の、部屋?」
 扉には、こちらの世界の文字で書かれたおれの名前のプレートがかかっている。ブランシェットの森でとれた木を使い、ヒースクリフが切って彫ってくれたものだ。
「今晩は、クロエにはおれの部屋で寝てもらいます」
「え、ええっ?!」
 驚きうろたえている様子のクロエにおれはふふふと笑う。いい反応だ。
「修学旅行の夜にめっちゃ怒られて生活指導の先生と寝る羽目になった学生みたいな気分でしょ」
「た、例えがわからないけど、賢者様の世界にはそういうのがあるんだ……?」
「あっ、お布団はきちんと洗いたてなので安心してください」
「俺が驚いてるのはそういうことじゃなくて……」
「……自分のキャパを超えた活動を続けるとぶっ倒れるという実例がね、クロエの目の前にはいるんだよ」
 しみじみというと、クロエはそれ以上何も返せなくなってしまったようだ。ちょっと言いすぎたかもしれない。
 そのまましばらく扉の前で押し問答をしていたが、やがて二人そろってあくびをしてしまった。顔を見合わせて少し笑って、彼は照れたようにはにかんだ。
「えっと……じゃあ、お邪魔します」
「どうぞどうぞ」
 二人してベッドにもぐりこんで、ひそひそと言葉を交わす。さすがに成人した大人二人にとっては手狭になってしまうけれど、なんだか本格的に修学旅行の夜みたいだ。
「友達の部屋に泊まるのって、はじめてかも」
「そうなの?」
「うん、旅をしてた時は、ラスティカと同じ部屋だったけど……」
「そっか。なら、みんなでパジャマパーティーとかしたら楽しいかも」
「パジャマパーティー? ……ふふ、聞いただけで楽しそう」
「そのうちしたいね」
「うん……」
 お互いの声が徐々に小さくなっていく。やがて声はなくなり、二人分の寝息だけが部屋の中に残るのだった。


2020/11/02