――あ、俺の名前だ。
魔法を使った収納箱。その奥の方にしまってある封筒の宛て名を見て、俺はそう思った。見慣れない文字のはずなのに……文字と認識できることすら不思議なはずなのに、この文字列の意味を俺は知っている。誰かに繰り返し教わったはずのもの。誰からもらった手紙だっけ? 思い出そうとしても頭に靄がかかったように、その誰かのことは思い出せなかった。
「……ここにしまってあるってことは、すごく大事なもののはずなんだけど……」
「クロエ? どうしました?」
うーん、考え込む俺に背後から声をかけたのは賢者様だった。今代の賢者様と先代の賢者様と、さらにその前の賢者様はみんな日本という国に住んでいたらしく、三代も続けて同じ国から来た人間が賢者をすることはとても珍しいことだそうで。ずっと昔から賢者の魔法使いをしているスノウとホワイトは今までにないことだって驚いていた。
「……あ、それ、手紙ですか? ……あれ? 日本語……?」
賢者様が何気なくもらした言葉に俺は勢いよく振り返った。
「ね、ねえこれっ、賢者様の国の言葉なの?!」
「うん……クロエ、と……カタカナで書いてありますね」
俺が賢者の魔法使いになったのは去年のこと、先代の賢者様に召喚されてからだ。ということはつまり、これは先代の賢者様にもらったものということになる。俺は先代の賢者様とは結構仲が良かったつもりだけど、手紙をもらったことさえ忘れてしまうなんてことあるだろうか? 不安になりつつ、賢者様に手紙を差し出した。
「もしよかったら、中身、読んでもらってもいいかな……? 俺は読めないから」
首を傾げながらも賢者様は頷いてくれた。失礼しますね、と言って数枚の便箋を取り出し俺にも聞こえる声で読み上げる。時候の挨拶、手紙を書いた当時の近況。うっすらとエピソードは俺もしっているような気がする。でも封の空いたそれは少なくとも一度は直接読んでもらったはずなのに、文面に全く覚えがない。
何かがおかしい。はっきりと確信を持って続きが読まれるのを待っていたけれど。
「……、――…」
賢者様の声が戸惑うように止まった。どうしたんだろう、俺が聞くよりも先に賢者様が口を開く。
「あ、あの……この手紙、クロエ以外の……ええと、本当に自分が読んでしまって大丈夫でした……?」
「えっ、どうして?」
「だってこの手紙、その……」
うっすらと頬を赤くさせて、ラブレターですよ。と賢者様は呟いた。そう聞いてやっと思い出した。そうだ、これは”彼”にもらったもので……収納箱の奥の奥にしまいこんでいたのも、絶対になくさないようにしようと思ったからで。なのに記憶は極端におぼろげなままだ。大切な記憶を思い出せないのに、焦りすらわかない俺自身にどうしようもなく焦りがつもる。
賢者様から手紙を受け取って、彼の筆跡を指でなぞる。俺は大切な何かを忘れてしまった。それだけははっきりしている。なんで。どうして。
2022/07/13