香水のお守り


「――あれ?」
 身支度を整えている最中、香水瓶をプッシュするけど肝心な中身がでてこない。押し込み部分が悪くなっているのか、それとも空気が入ってしまっているか。空中に向けて何度か押してみて、ようやく少しずつ出てきたとほっとしたのも束の間。
「ねえクロエ、前に借りたリボンって――」
 ちょうど直隈が扉を開けて入ってきた。タイミングと向きが悪くて俺の香水はしっかり彼にかかってしまう。
「わーっ、ごめん!」
「や、おれの方こそ……急に入ってきちゃったから」
 くしゃみをして、でも彼は首を横に振る。依頼完了のお礼にと招待されたパーティの準備中の出来事だった。
「ん? この香水、前にも使ったことある?」
「ううん、新しいの。中々出なかったからプッシュしてたんだけど……うう、ごめんね。一回匂い消す? 直隈の香水も持ってきてるよ」
「あはは、いい匂いだし気にしないで。……あ! じゃあせっかくだし、クロエがおれのつける? 香水はつける人によって匂いが変わるっていうし、クロエが付けたらどうなるのか気になるなあ」
「……交換、かあ」
 今日の香水はあっさりめの、人を選ばないものだ。だから誰がつけていても気にならないだろうし、確かに楽しそう。彼はけろっとしているし、直隈が気にしていないのならいいのかな? と思い彼は俺の香水を、俺は彼の香水をつけて出席することにした。

 事件は続くというかなんというか。パーティのホスト側の一人が、どうやら直隈に好意を持っているようだ。直隈は気付いているのかいないのか、いつも通りにこやかに会話を続けている。俺が気付いたのは偶然だけれど、彼に恋人がいると知られていない状態で彼を好きな人が別にいるというのは正直気が気じゃない。勿論直隈を信用してないわけじゃないし、そもそも全部俺の思い過ごしかもしれないんだけど。けれどどの言葉で片付けようにも、心の中にはどうしてもざらつきが残る。とはいえ、根拠の乏しい俺の感情だけで直隈の賢者様としての役割を邪魔するのもいけない。もう少し注意深くみていて、彼が困っているようならいつでも間に入れるようにしておこう。
 そう思った矢先、ついに彼とホストの距離がじりじりと近づき始めた。俺はパーティの参加者との会話をほどほどに切り上げて、彼らの会話に混じろうとする。
 ホストの一人が、直隈の腕にそっと触れた。ちょうど彼に香水の話題を振っているところだった。
「賢者様のつけておられる香水は、とてもよい香りがしますね」
「……ああ、これですか?」
 直隈は胸元を押さえて少し照れたように、にこりと微笑んで答えた。
「……ふふ。実は、恋人に借りたものなんです。彼にも伝えておきますね」
 ……。
 ホストはかろうじてそうですか、とだけ答えて、それ以上は何も言わずにやや気落ちした様子で「では、引き続きお楽しみくださいね」と言って去っていった。
「……す、直隈……」
「クロエ」
 俺が呼べば、彼は振り返って香水褒められたよ! と満面の笑みで教えてくれた。純粋にいい香りですねと言われたことを喜んでいる笑顔だ。
「……あれ、クロエ顔赤くない? 暑い? テラス行く?」
「……ううん、だいじょう……いや、やっぱり行こう。直隈も休まなきゃ」
「……えへへ」
 嬉しそうな中にも疲労を感じ取り、横に振りかけた首を縦にすると彼は「バレたか」というような表情で笑った。挨拶はもう大丈夫? 聞くと彼は頷いた。
 テラスへの扉を開けて大きく彼が伸びをする。月明かりは屋内の照明に比べて心許ないけれど、俺たちにはちょうどよかった。彼は俺に甘えるように少しもたれて、すん、と小さく鼻を鳴らす。
「……ふふ、いい匂い」
 自然と、時間が経って変化した彼の匂いも俺に届く。……うん、間違いなくいい匂いだ。


2023/01/20


Q.好意には気付いてなかったんですか?
A.なんか距離近いなーって思ってたけど、香水褒められてこの人めっちゃいい人じゃん!ってなった
A.距離が近い初対面の人は、良くも悪くも「賢者」に対してなんか要求があると思って警戒してる(ので余計に疲れた)よ!