まほやくゆ…フォロワー夢だこれ!

 エレベーターを上ると、そこは異世界だった。
 つい著名な小説の書き出しを真似てしまうほど、現状はフィクションめいていた。とんがり帽子にマントを着た紳士にほぼ一方的に言葉を投げかけられたかと思えばこちらを賢者だと呼んだ壮年の男性に恭しく礼をされ、困惑している間に一転して剣を向けられ、ついには空を箒で飛ぶ人々まで出てくる始末。
 ドッキリ番組か何かか、都市伝説、きさらぎ駅? それともSCPの類い? もしかしてリアル脱出ゲームのなにがしかに当選したか。応募した覚えもないけれど。めまぐるしく変わる状況に、問われれば考え、答えを返しながらもどこか現実味に置いてけぼりにされていた。

 スマホのロックを指紋認証で開けると、そこにはエレベーターに乗る直前に撮影した写真が表示されていた。騒ぎに巻き込まれる直前、「今日の月めっちゃでかくね?」の一言とともに写真を添えた呟きをしたからだ。あれからずいぶんと時間が経っている。いつもならフォロワーたちの呟きが読み切れないほど流れてくるはずなのに、どれだけタイムラインを更新しようと下向きにスワイプしてもあの小気味よい更新音は聞こえないし、ついでに液晶端に表示されている電波表示は圏外になっている。……圏外。ここ数年みた覚えのない表記だ。
「……ふぉ、フォロワー……助けて……」
 冗談めかして呟いた声は、冗談のように震えていた。まずここで助けを求めるのが家族ではなくフォロワーなのが我ながら極まっていると思う。いやだって、インターネットで沢山みた都市伝説って大体ネット経由で近況を報告したりアドバイスを受けたりしてたし、ワンチャンあってもいいと思うんだ。圏外だとしても。
 しばらくそのまま、いつまでも更新されないタイムラインを眺めて。電波を受け取れないでいたからか、ついに赤くなってしまった電池残量を確認するとセーフバッテリーモードを押した。気休め程度にしかならないだろうけど。すぐ帰れないのであれば結果は変わらないのだろうが。それでも、なんとなく。
 コンコン、扉がノックされる。はい、と返事をして、赤い手帳型のケースをつけたスマホ──いまはただの幅広の文鎮と化している──を上着の内ポケットにしまう。いつもは裾の方のポケットに入れるが、平均的な現代人らしくスマホにはある程度依存してしまっているため、いつもの場所に入れておくと使えないことを忘れてそのまま開けてしまいそうだったから。
 扉を開けると、人好きのする笑顔を浮かべた赤髪の男性が立っていた。初日からおれのことを助けてくれたり、真摯な言葉を投げかけさんざんお世話になっている騎士だ。名前──彼の名前は、
「おはよう、賢者様。カインだ」
「おはよう、カイン」
 ハイタッチをしながら彼が名を告げる。そう、カイン。カインだ。名前を覚えるのが苦手なのでぱっと名前が出てこず申し訳ない。そもそも新しい人を二十人単位で覚えるのは結構しんどい。一クラス分には足りないけれど、学生時代その人数を覚えるだけに数か月かかった気がする。ただ、これから密な関係性になる人たちだから、頑張ろう。頑張って、自分。大丈夫、この前の顔合わせのときに、賢者の書にしっかり名前と第一印象は書き込んでおいたから。

 モーニングコールを直接届けてくれたカインに連れられて食堂へ降りていく。さっと視線が集まったのにおはようございます、と挨拶するとある者は静かに、ある者は元気に返してくれる。アーサーは公務で忙しいと言っていたし、朝食の時間ははっきりと決まっていないためこの場に居るのはご飯番の……ネロと、南の兄弟であるルチルとミチルは朝食を終えて外にでていくところだった。うん、この二人は童話と関連づけて覚えられたのですんなり名前がでてきた。いい調子だぞ。
 すぐ作るから待ってな。そう言ってネロは手早く包丁を操っていく。慣れた手つきはそのままずっとみていたい気持ちにさせられるが、彼の気が散ってはいけないと「お願いします」と伝えてから空いた椅子に座る。向かいに座ったカインが、なんとなく部屋から持ってきた賢者の書(これは前の賢者様の記したもので、背表紙の角はやや折れている)を指さした。
「それ、俺たちには読めない、賢者様の国の言語で書いてあるんだろ? 前の賢者様は俺たちのことどう書いてたんだ?」
「ん、そうだな……おれもまださわりの方しか読めてないけど、カインのことはめっちゃいい奴、って書いてあるね。あとは誰と何を食べたとかどこに行ったとかの情報が多い」
「そうか」
 カインは懐かしそうに目を細めた。前の賢者様が帰ったのはおれがこの世界に来る直前だと聞いているから、そんなに日数は経っていないだろうけど……いつも顔を合わせていた友人がいなくなれば、この反応になってしまうのも仕方がないのかもしれない。日本の家族を思い出して、あちらの時間とこちらの時間が同じように経ってたらどうしようなぁ。などと、どうしようも出来ないことをひっそりと考えた。
 カインに尋ねられた流れでぺらぺらとページをめくっていく。その中で自然と手が止まるのは、通常の記述とは違う色で書かれた、北の魔法使い紹介ページ。以前も読んだけれど、そのページをぼうっと眺める。ブラッドリー、ミスラ、オーエン、スノウとホワイト、そして、オズ。
 そうそう、後半の三人は割となじみ深い名前だからすぐに覚えたんだった。オズの顔はここにきた初日にバタバタした流れで数十分顔を合わせただけだからもう薄らぼんやりとしているけれど、黒髪長髪で長身で、そう、たしか切れ長の赤い目をして──。
 思い出した彼の情報がおれの記憶にどう作用したのかはわからない。ただ、とても重要な情報がふわっと思考の海に浮かんできた。
 まほやく。
 その四文字が思考のど真ん中に躍り出てきた。──たいへんだ。
 賢者の書は開いたまま、上着の内ポケットにしまい込んだばかりのスマホを取り出す。蓋を開けて、ホームボタンを押す。ぱっと表示された待ち受けは自作のイラストで、日本時間の時計は窓の外の朝日と一致している。ただ先ほども確認したとおり、圏外の表示は変わらない。SNSを開いて、数々並ぶアイコンの中から「まほやく」の話をよくしているフォロワーを探す。──いた!
 彼の人のアイコンをタップするが、やはり何度も試したようにくるくると読み込み表示がされるだけで最新の呟きどころかタイムラインで表示されていた呟きすらみることは叶わない。それはまた別のまほやくプレイヤーのアイコンをタップしても同じだった。
「フォロワー……フォロワー……!!」
 助けてください、急患なんです! 圏外になんかなってる場合じゃないんです! いますぐ魔法舎の彼らをはじめとしたこの世界の詳細な情報と、まほやくにドハマりしているあなた方がなぜこの立場に居なかったのかの説明をください!!
 ──と、心の中でどれだけ叫ぼうと、その叫びが外ににじみ出ようとフォロワーたちからの答えが返ってくるはずもなく。返ってきたとしても「知らん……何それ……怖……」という戸惑いの言葉だけだろう。そして目の前のカインはどうした? と心配そうに尋ねてくる。目の前で奇行を繰り広げられたらそんな反応にもなる。
「なんだ、その板。光ってんのか」
 うなだれたおれの上から声がふってきた。ほかほか湯気を立てる皿を持ったネロだ。興味深げにしているのは心配してくれたカインも同じようでおれの手元をじっと見つめている。
「ええと……これはスマートフォンといって……離れた相手と喋ったり、手紙のやりとりをしたり、調べ物ができる機械……なんだけど、今は使えないね」
「へえ、便利なもんだな」
 しげしげとスマホを見つめる二人。すると、唐突に音が鳴り響いた。目覚ましのアラームだ。アップテンポなアイドルソングで前奏の間に起きられるような大音量にしてあるが、おれはすぐさま電源ボタンを押してアラームを解除した。静かな電車内で誤ってイヤホンなしで音楽をかけてしまったときと同様の気まずさがある。
「わっ、ごめん」
「驚いたな! 音楽を聴くのには使えるのか?」
「うん……ああ、でももうすぐ電池が切れるから、音楽も聴けなくなっちゃうね」
 カインはからっと太陽のような笑顔を見せた。彼はそうか、と返事をして「俺は音楽と踊りが好きなんだ。賢者様も音楽が好きなんだろ? 共通点が見つかってうれしい」と。なんだこの騎士、菩薩か? 後光が差して見える。
「……まあ、俺から聞いといてなんだが……賢者さんの道具はともかくさ」
 コン、皿がテーブルに置かれた。白い湯気の量は先ほどよりも減っている。
「まずは腹ごしらえしなよ、お二人さん」

 かくして、おれの異世界トリップ生活は、TLからの情報を受動喫煙しただけの原作ミリしら状態ではじまってしまうのであった。
 履修……しておけば良かった……!!


2020/07/06