議題:恋人って具体的に何をするものなんですか


 異世界に来た。友達や仲間ができて。その中のただひとりを好きになって、なんといまはお付き合い関係にある。出だしからして全く現実味がないけれど、実際にそうなっているのだからそれ以外に言いようがない。
 クロエの部屋に入ると、彼は布の端切れやボタンがのった机の上を慌てて片付けて。本来なら自分のものである椅子をおれに譲った。その間に彼は予備の椅子を壁際から目の前に置き同様に座る。
「ところで、恋人同士って、なにをするものなのかな」
 クロエに好意を伝えて、彼からも同じ気持ちが返ってきた後、恥じらい混じりに彼は首を傾げた。こちらへ向ける視線は未知なるものへの好奇心と少しの不安がある様子で、その眼差しの先にはおれがいることにじわり胸の奥が震える。感じ入っていると、賢者様? 彼に呼ばれた。そうだ、恋人同士が何をするのか。それを話し合うために、ゆっくり話ができる彼の部屋に来たのだった。
「えーと、前提として、二人が一緒にしたいねってことをすればいいと思うんだけど」
「うん、そうだよね」
「クロエは何をしたいとか、ある?」
「そうだなあ、今みたいにお喋りしたりとか、お茶会したりとか、一緒に出掛けたりしたいな! 賢者様は?」
「ああ……おれも、概ね一緒かな……。……あ! 一個いい?」
 ちょっと思いついたけど、ヘンな要求じゃないよな? 付き合ってるんだし、うん、大丈夫。自分の照れがクロエに伝わってしまう前に言い切ってしまおう。
「どうしたの?」
「……あのさー、クロエに、おれの名前……呼んでみてほしいなーって……」
 そう思ったんだけど、要求が尻すばみになってしまった。だめだ、要求自体は正当性があると思うけど、頼み方が変な感じになってしまった。差恥心に今すぐにでも顔を覆いたい気分になっていると、おれにつられるようにクロエの頬もじわじわと赤くなっていることに気が付いた。
「そ、そうだね! 俺いっつも賢者様って呼んでるし……」
 膝の上に置いていた手を取られる。いつもクロエに手入れしてもらっている指先が、彼の指先と触れ合った。
「……直隈。これから、よろしくね」
「……こちらこそ」
 クロエの手を握り返して、おれたちは微笑みあった。

「……ちなみになんですけど、クロエって身体接触はどれぐらい大丈夫なの」
「身体接触?」
「これとか」
 触れ合っている手に視線を落とす。
「えっ、いっぱいしたい! ハグとかも! 賢者様は?」
「うん、おれもこういうの好き」
 ぎゅっと手を握られて、でも今までにもたくさんしてたもんね、あんまり変わらないかも。と楽しそうに彼は笑う。ぐうの音も出ないほどかわいい。それならばともう一つ質問をする。……引かれたらやだなあという緊張が滲んでいたらどうしよう。
「じゃあ……今までしたことないキスとかは? したいと思う?」
「き……きす、」
 ぼぼぼっとクロエの顔が赤くなった。ちなみにおれは、めっちゃしたい。なので脈アリっぽい反応に内心コロンビアポーズでフィーバー状態だ。彼の視線がせわしなく動いて、不意に目線があったかと思えばすぐにそらされてしまう。
「し……したい……です」
 でも握った手はそのままで、耳まで真っ赤に染め上げて尻すぼみに言葉を紡ぐ彼の様子が微笑ましくて、つい笑ってしまった。
「じゃあ、クロエ。いま、キスしてもいいですか?」
「……! うん……俺も、したい」
 握った手は、いつの間にか汗ばんでいる。どちらのものかはわからないが、もしかしたら二人とものせいかもしれない。指先でなぞればぴくりと反応してどちらともなく握り直す。がたん、身を乗り出したせいで椅子が揺れた。ゆっくりと顔を近づけていく。

 目をつむっている間、そう思わずともつい息を止めていた。伏されていた瞼がゆっくりと開いて、彼の葡萄色はやがて夢見がちにほほ笑んだ。ふわふわと地に足のつかない感覚にうっそりしていると、クロエはため息のような吐息を漏らした直後、こう提案した。
「直隈、もう一回しよう?」
「へっ」
 急な名前呼びと思わぬ提案に素っ順狂な声が漏れる。彼の顔は依然として赤いままだし、瞳もどこかとろんとしているが、その奥には確かな意思がある。跳ねる胸を浅い呼吸で抑えて、おれは頷いた。
「……っうん。……し、しよう。したい」
 口付けそのものもそうだし、クロエがねだってくれたことが、求めてくれたことが何よりもうれしかった。一度目のキスを喜んでくれた。二度目を望んでくれた。それはおれと同じ気持ちであることの何よりの証明だ。
 そして、感極まってお互い「もう一回」だけではとても足りず、そのまま夢中で唇を擦り合わせていく。部屋の中でリップ音がやけに響く。本人に言うつもりのなかった、自分の中で消化して終わらせるつもりだった気持ちの行き先ができてしまった。他でもないクロエ本人に受け入れられるのだと知ってしまった。おれは多幸感に包まれたまま泣き出しそうになっていた。同じ好意を返される嬉しさが、頭の中でぐちゃぐちゃになっていた。
 どれだけの時間そうしていたのかはわからない。気が付いたときには、二人ともすっかり息が上がっていた。
「…………」
「…………」
 まるで暖味さの上に立っているような心地だ。そわそわとして落ち着きがない。しばらくの間、おれもクロエもあらぬ方向に視線を向けていたけれど、次第に息も整ってきたころ目が合った。
「っわ、賢者様……?!」
 沈黙の間もずっと決壊寸前だった感情が――クロエのこと好きだなあとか、好きだって言われて嬉しかったなあとか。いろいろな感情が爆発して、気が付けば思い切りクロエを抱きしめていた。でもひとつも言葉にならなくて――なったとしても、とても聞けるような声にはならなかっただろうけど――溢れてしまった感情のままに抱きしめる。
 おれよりも数センチだけ背の高い彼の身体は、知らず識らずのうちに空想していたよりもずっと温かで、柔らかく抱きしめ返してくれた。

 それからまた落ち着いて、おずおずと腕を離したころにはおれはまた別の焦燥感に襲われていた。
「い、いきなり抱き着いてごめん……」
「どうして謝るの? 俺は嬉しかったよ」
「そっ……かあ。いやその……急に触れるのはあんまりよくないかなって……」
 そしてまた沈黙が流れる。これ、おれが触られたくないみたいに聞こえるんじゃないか。どう説明したものかと悩んでいると、クロエが「わかった!」と声を上げた。
「賢者様、もう一回ぎゅってしていい?」
「……、はい、どうぞ……」
 両手を広げて尋ねるクロエにつられるようにして同じように手を広げると、彼はやったあと声を弾ませて抱きしめてきた。ぎゅっ、と言った通り、先ほど抱きしめ返されたときのような緩やかな抱擁ではなく、力強い腕だ。
「……ふふ」
「?」
「心のままに行動するのもいいけど、口に出すのも自分のしたいことが一層はっきりしていいなあって」
「……うん、ありがとう」
「賢者様……直隈。俺、直隈のこと大好きだよ」
「……、うん。……おれも、クロエのことが大好きだよ」
「ふふふ」
 より一層、おれを抱きしめる腕に力がこもる。充足感に包まれながら、前々から感じていたことを口に出した。
「……ちょっと、提案というかお願いがあるんだけど」
「お願い?」
「おれたち、返事……の段階でも、気を遣って中々話ができてなかったじゃん?」
「う、うん。そうだね」
「だから自分の中だけで完結するんじゃなくて、したいことがあるなら、今みたいにまず言うようにしてみたらどうかなって思って。その……付き合ってる、わけだし」
「……うん」
 照れによって沈黙が落ちかけたが、クロエはそんな空気を振り切って声を上げた。
「実は俺も同じこと思ってた。けん、……直隈ってたまに迷惑じゃないかなって言いたいこと我慢するときあるよね」
「それは……ええと、まあ」
「責めてるとかじゃなくってね! ……それに、俺も俺のそういうところ直さなきゃって思ってるから。だからこそ賢者様にも遠慮しないで言ってほしいし、その上で二人でどうするのが一番いいのか考えたいんだ」
「……うん、そうだね、おれもそう思う」
 こくりとクロエが領いた。はっきりと言葉にするのはむずがゆさもあるけど、一番に感じるのは安堵感だ。そっと身体を離すとまた目が合って、少しの沈黙のあと同時に口を開く。おれたちは、今日何度目かもわからないキスをした。


2021/09/16