おれがぽろっとクロエに好きですと告白してからしばらくがたった。が、いまのところクロエからの返事はない。それでも食堂や廊下ですれ違った時は――たぶんいつも通りに――二言三言会話ができている。そもそも彼は衣装づくりが立て込んでいるようで忙しそうにしているし、任務でどちらかが魔法舎にいなかったりという事情もある。
幸いにして、思いを告げたせいで避けられている……という感じはしないので、とりあえずは胸をなでおろしていた。しかし正直言って、返事が気になりすぎて落ち着かない。とはいえ急ぎではないと言った手前こちらからあの話を切り出すのは難しいというか無理なので、おれは余計なことを考えないように仕事をするか、もしくは母国語ではないために集中力を要する読書のどちらかに徹することしかできなかった。
というわけで書類仕事がひと段落したおれは――困り果てた様子のクックロビンに「こちらは大丈夫なので、とりあえず休んでください!」と言われてしまった。が正しい――読書をするために中庭のベンチまで来ていた。ちょうど日中木陰になる位置なので眩しすぎず暑すぎず、風もほどよく通るのでとても過ごしやすい。今読んでいる本は子供向けのものだが絵本からは着実にステップアップしている小説だ。読むスピードだってたどたどしいながらも徐々にスムーズになってきているし、物語を楽しむ以外の実用面でもきちんと身になっている気がする。
おれはどうしても浮かんでくるクロエの顔を振り切るように本を開いて、そして――。
――額のあたりがくすぐったくて、ふっと目を開けた。あっ、と誰かが息を呑んだ。ぼやけた頭で見上げると、赤い癖っ毛の彼がいた。
「――……くろえ……?」
「あ……ごめんね、賢者様。起こしちゃった」
「うん……?」
何してたんだっけ、見回すとすぐ横に本があった。そうだ、読書をして――そのまま寝入ってしまったんだ。
「本、落としそうだったから横に置いちゃった」
「ああ、そっか……ありがと」
「……隣、いいかな?」
「うん……」
最近の疲れが出たのか、中々はっきりとしない頭を振りながらうなずいた。しかし、次の彼の言葉で、おれの意識は電球のスイッチを入れたように目覚める。
「……この前の、話のことなんだけど」
ついでに心臓も爆音で早鐘を打ち始めた。
「……うん、」
「ごめんね、中々返事できなくて」
「ううん全然。クロエも忙しかったでしょ」
首を振れば、不自然な沈黙の後かーっとクロエの顔が赤く染まっていく。おれ何か変なこと言ったかなと焦っていると、彼は理由を話し始めた。
「う、ううん……あのね、みんなの服を作ってたのはそうなんだけど、急ぎじゃないのも全部やってたっていうか。最近、賢者様忙しそうだったしまた後にしようって思って、でも何もしてないとあの時のこと考えちゃうから……落ち着かなくて」
それを聞いて、今度はおれの顔が赤く染まる番だ。
「え、……そう、なの……」
「うん。……あはは、おかしいでしょ」
「……、……おれ、おれも、屋上でのこと思い出して、いっぱいいっぱいになっちゃうので、考えないように、まだ納期まである仕事もめっちゃしてました……」
「え……」
座ってからずっと前を見ていたクロエがこちらを見た。とんでもなく情けない顔をしているのは間違いないのであまり見ないでほしいのだが、そんな願いも空しく彼の眼差しは固定されている。
つまり、おれたちはお互いがお互いに忙しそうだなぁと気を遣っていたらしい。
「……ふふっ、なんだ。そうだったんだ」
クロエはくすくすと笑いだすが、おれは気まずくて目を背けてしまった。早くこの状況から脱したいと思いながらも、自分で話しかけにくいように見せていたのだから。
「……それでね、賢者様」
彼が身じろぎをした。トンと肩が触れて、あ、と思うと同時に手を取られる。
「賢者様に好きって言ってもらえて嬉しかったよ。俺も賢者様のことが好き。……だから、俺と恋人になってください」
思わず、取られた手に力が入った。呼吸も忘れてクロエをみると、彼ははにかんでいた。
「……あ、え? ……ほ、ほんと……?」
「嘘なんてつかないよ」
「いや、ちがっ、う、疑ってるわけじゃなくて、」
違う、言いたいのはこんなことではない。ひきつる喉で無理やりにでも息を吸って、消え入りそうなただ一言を絞り出す。
「っ……、ありがとう……」
はっきり届いたかもわからない掠れた返事にもかかわらず、クロエはくすぐったそうに笑った。
2021/09/15