熱の街で花を見る


 妙齢の女性たちが白を基調とした美しいドレスに身を包み、家族や友人たちと楽しそうに話しながら街を回っている。彼女たちに祝福の言葉をかける人々もまた幸せそうだ。
 そんなおれはというと、人だかりから離れた位置にある、果樹棚の下のベンチで小休憩をしていた。祝福の言葉を言うのも聞くのも楽しいことには違いないが、いかんせん感想がぱっと出てくる方ではなく、己のボキャブラリーのなさ故にやや疲弊を感じていたのだ。
 藤によく似た花は藤と同じように、果樹棚にそって枝が伸びるよう誘導されている。この街はあちこちにそういった場所があるので、人々の注目を浴びそうな立派な棚も、街の中心地から離れればこうして座っていても遮られずに楽しむことができるのだ。
 花につれられて大きな蜂もそこかしこに飛んでいる。棚ごしの淡い日差しを浴びて、風は爽やかで。人のざわめきは近すぎず遠すぎず。おれのマナスポットってこういうとこの事を言うのかも。いつだかに魔法使いたちと話したことを思い出していた。
「賢者様!」
 弾むような声が聞こえた。目は開いていたもののついうとうとしていた意識が引き上げられる。声の主は今回同じく任務に参加していたクロエだ。
 彼は小走りで棚の日陰に入り、おれの隣へ腰かけた。頬は上気しており、聞いて聞いてと身を乗り出す様子は実際の年齢よりも幼く見える。
「素敵な服のアイデアがたくさん浮かんだんだ! やっぱり年に一度のお祭りだし、将来を祈願するためのお祭りだからみんな張り切ってて、すっごく元気もらっちゃった」
「そうだねぇ。……そういえば花をモチーフにした髪飾りもたくさんあったけど、さっき蜂をモチーフにした髪飾りつけてた人いたよ。かわいかった」
「そうなの?」
 気が付かなかったや、ちょっと悔しそうにするけれどやっぱり一番は楽しいようで、クロエはずっとこの調子だ。彼は生粋のお祭り好きというか、ずっと人ごみの中で踊ったりしていそうなものなのに、わざわざはずれのこの場所に来るとは思わなかった。
 けれど彼がおれの元に来てあれこれ話してくれるのは純粋に喜ばしい。おれが彼にとって、楽しかったことや嬉しかったことを共有したい相手ということだから。
 ところで、と。先ほどからちらちら視界に入るものを控えめに指さした。
「このベール、朝まではつけてなかったよね?」
「うん! さっき街の人にもらったんだ。本当はお嬢さんが使うつもりだったんだけど、やっぱり髪型を目立たせたいからどうぞって言ってもらったんだ。俺の服と髪によく合いそうだからって」
 クロエははにかみながら、頭にかかったベールをちょいとつまんだ。
「うん、すごく似合ってる。素敵」
「ほんとう?」
 目が合うと照れくさそうにすこし目を伏せて、それでもまっすぐに笑う。
「うん」
 ベール越しに彼の目が見えてもなお目を細めるぐらいには、彼はまぶしい。
 不意に、棚から花びらがひらひら落ちてきた。よくよく見れば引っかかっている花びらはひとつだけではなく、他にも点々と散らばっている。これはこれでそういう飾りのついたベールのようできれいだけど。シャイロックに取ってもらったことを思い出し笑いしながら、ちょっと触るねと彼に手を伸ばした。
「ベールって、結構引っかかりやすいんだね。いっぱいついてる」
「あっ、花びらついちゃってたんだ。ありがとう賢者様」
「ううん、どういたしまして」

「ところでクロエ、ちゃんと水分とってる?」
「えーと……さっきジュースもらったけど、」
「じゃあまたもらいに行こう。顔、まだ赤いから」
 おれも喉乾いたし。そう言って立ち上がると、クロエは頬を押さえながらそうかな、呟いた。彼は暑さに弱いみたいだし、風が涼しいとはいえこの陽気で踊っていたなら汗もたくさんかいているはずだ。ほぼ日陰にいたおれが水分をとりたいのだから、余計に。
 クロエに手を差し出したところで、ひときわ強い風が吹いた。あっと思った時にはもうクロエのベールは風に飛ばされてしまって。それでも手を伸ばして、なんとか端をつかまえることに成功する。
「あっ……ぶな」
「わあっありがとう。ピンとかで留めたほうがいいかな……」
「うーん、そうかも……」
 ばくばく鳴る心臓を押さえつけて彼にベールを渡す。少し悩んでいた様子のクロエはふっと立ち上がると、頭を下げてみてと声を弾ませた。言われた通りに下を向くと、ふわっとした感触が髪ごしに伝わる。
「っえ? なになに?!」
「ベール! 賢者様にも似合うと思って!」
 すっかり彼は仕立て屋モードに入っていた。顎に手を添えて顔を上げさせたあと、おれが元々前髪につけていたピンを外し、耳元のうまく隠れる位置に差し直していく。彼の手直しはすぐに終わった。
「……うん、思った通り! すっごくきれい』
 彼を飾り立てていたはずのベールはたちまちおれの頭上へ座り直した。鏡はないので自分がどうなっているかを見ることはかなわないが、他でもないクロエが満足気な顔をしているのだ。素敵でないはずがない。
「ねえ賢者様。みんなに見せに行こうよ! 勿論飲み物ももらいに!」
 しかし、まっすぐな誉め言葉を受け取ったおれはとても動けそうにない。クロエの手を引こうとしていたはずが、いつのまにか逆転していた。暑さに火照っているクロエよりも、おれの方がずっと、顔が赤くなっている。
「ちょ……ちょっとまって……」
「……賢者様?」
 挙動不審にしか思われないだろうが、彼を気にしている余裕はない。先ほどクロエの視線を多少は和らげてくれたベールだが、他ならないクロエの手によって顔が隠れないようピンでとめてあるのだ。残念ながら援護は期待できない。
「いや……ごめん、クロエ、先にいってもらった方がいいかも……」
「……ううん、待つよ」
 いつもならありがたいクロエの優しさに、追い打ちをかけられる気分になる時がくるとは思わなかった。
 もうしばらく、彼の顔は見られそうにない。


2021/06/01