起床した。目を開けてぼんやりと窓から射し込む朝日を眺める。今日も眩しい。体を起こして、ヒースクリフが見繕ってくれた時計を見るといつもよりも早い時間で、寝坊防止のために魔法使いのみんなが起こしに来てくれる時間にはまだ余裕がある。起こしに来てくれる、というのは、以前決まった時間に起きるのが苦手だという話を雑談の中でしたら、それなら起こしに行きましょうかとにこやかに言われてしまったのが発端だ。いい年して恥ずかしいと思わなくもないが、早起きが習慣になっている魔法使いは結構いるらしく、恥ずかしながらも任務など用事のある日は彼らに頼むことにしていた。
今日は特に用事もないのだが、なんとなく存在するらしいルーチンが回ってきたリケが「規則正しい生活は、心身の健康を保つためにも重要ですよ」と昨晩教えてくれたので、部屋まで来てくれるはずだ、彼はいつも時間に正確なので、それまでに顔を洗って、着替えて。余った時間は、依頼の書類やら手紙やらなんやらで散らかし気味の机の上を片付けてしまおう。
と、思っていたんだが。顔を洗いに行くにも着替えに行くにもなんとなくぼーっとしてしまったために、ちょうどベストを着たあたりでノックの音が聞こえてしまった。休みの日だからあんまり心がしゃっきり出来ていないのかもしれない。まぁ、最近は立て込んでいた用事にもやっと一区切りがついたところだし、朝食の後にでものんびりと片付ければいいか。
「おはようございます、賢者様」
扉を開けると朗々としたリケのあいさつが聞こえる。きっとおれよりも早くに起きたのだろうに、眠そうな表情もみせず利発そうな眼差しでこちらを見つめている。
「おはよう、リケ。朝早くから、今日もありがとう」
「いいえ、慣れているので平気です。教団に居た頃と起床時間を変えないようにしていますし、朝のお祈りもありますから」
「そっかあ」
「賢者様は……少し眠そうですね。でも、もう着替えがすんでいるのは、いいことだと思います」
「へへ、ちょっとは早起きできたんだけどね」
誤魔化すように笑うとリケもにこりと笑った。この笑顔には見覚えがある。これは、ご飯を美味しそうに食べるときの笑顔だ。
「今日の朝ご飯は、玉ねぎのスープとスクランブルエッグだそうです。焼きたてのパンもありますし、賢者様も朝ご飯を食べれば、目が覚めると思います」
「んふふ、そうだね。ご飯楽しみだね」
リケに微笑み返して廊下を歩いて行く。まだ眠気が尾を引いているのだろうか? ふらつく足取りに後でもう一回ぐらい顔を洗った方がいいかもしれないなぁと気合いを入れて階段を降りた。
事件というか、確定的にあれ? おかしいな、と思ったのは自分用のフォークを持とうとした瞬間だった。指先に力を入れていたはずなのに、カラン、とフォークを落としてしまった。まぁこれだけならば、割といつものことだ。自分はよく物を取り落とす。フォークが今日も元気だなぁなんて軽口を言って、リケにはちゃんとしてください、とちょっとしたお小言を言われながら床に落ちたフォークを拾うために屈む。
ぐらり、視界が揺れた。とても立っていられなくて──というか、無理に立っていたら倒れていただろう。おれはその場にへたりこんでしまった。
「賢者様?!」
「んん……力が、はいらん……」
リケが体を支えようとしてくれるけど、力が入らないことを自覚したと同時に全身の怠さが襲ってくる。このまま床に這いつくばっていたいぐらいだが、何とか頑張って体を起こそうと力を入れる。それでも立ち上がれない。それどころか手をぐーぱー握ってみるも、ゆるゆると動くだけだ。なんで? と考えてみるが、鈍った思考ではその先にたどり着けない。
「……賢者様、手が、すごく熱い」
服の裾が床につくこともいとわずひざまずいておれの手を取るリケ。膝をつかせてしまったなあと関係ないことは考えられるのに。
「ちょっとごめんね」
そこに現れたのはフィガロだった。いつもの柔和な雰囲気よりも少し焦った風におれに近づき、でも目が合うと安心させるように微笑む。
「おはよう賢者様、ちょっと触れるね」
「おはよう……、……」
額に当てられたフィガロの手は冷たくて気持ちが良かった。熱があるね、と彼は呟いた。熱。そうか、熱だ。フィガロの冷たい手はまるでおれの熱を吸い上げてくれているようで、思わず目を細める。
「賢者様、寝ちゃうなら部屋で寝よう」
「……起きたばかりでは……? 眠く、ないし……」
「うーん、でも賢者様の身体は休みたがってるみたいだから」
ふわ、と身体が持ち上げられる感覚があった。すぐ後ろにレノックスがいたらしい。身体の大きい彼に気が付かないとは、なるほど熱があるだけはある。
「……うん」
頷いたのとほぼ同時に、フィガロの呪文が聞こえておれは意識を手放した。
目を開けたら、見慣れはじめた天井だった。頭が馬鹿みたいに痛い。身体を起こそうとして、まったく力がはいらずにそのままぺしゃりとベッドに沈む。その衝撃のせいで頭痛がよりひどくなった気がする。
ん? なんだこれ、めちゃくちゃ頭が痛い。っていうか寝てたっけ??
困惑していると気が付いた? と声が聞こえた。フィガロの声だ。そのおかげでおれはいきさつを思い出す。
「ふぃがろ、……あー、えっと……熱だしたんだっけ」
「うん。疲れてたんだろうね、ここ最近は寝られてた?」
「そりゃもう、ぐっすり……。……ご飯とかも、普通に食べてたけど、なんでだろう……」
身体が泥のように重い。ナメクジのようにえっちらおっちら伸ばしながら途方に暮れた声で呟くと、フィガロに呆れたように、でもどこか柔らかく笑われてしまった。
「健康的な生活をしていたとしても、引くときには引くさ。……それに、みんな元々の生活から共同生活に変わったっていっても、一番生活が変わったのは賢者様だろう?」
まぁ。それは。たしかに、そうかもしれない。共同生活に慣れていそうなのはリケだけど……と、彼のことを思い出して唸る。
「あー、……あー、ねえ、リケ、絶対気にしてるよね……あー……」
彼は責任感が強い。賢者様を部屋まで呼びに行ったのは僕なのに、とか、きっと気にさせてしまっているだろう。しまったなぁ、と苦々しく思っていると、口を開けて? と指示された。ぱかりと口を開けて、何かが放り込まれたのを感じて口を閉じる。しゅわ、優しく口の中で崩れる甘さには覚えがあった。魔法使いの作るシュガーだ。
「それは、リケが作ってくれたシュガーだよ」
「……おいしい……」
フィガロはにこりと笑う。彼の手の中の小瓶には、シュガーがいっぱいに詰まっていた。
「それはよかった。他に食べられそうなものはある?」
「……お腹すいてない……」
「うん、そうだね。 じゃあこうしよう、ネロにおじやを作ってもらおうか。おじやなら、賢者様も少しは食べやすいだろう? 君が寝ている間にもうお昼近くになってしまったし、朝ご飯は食べ損ねてしまった。早く治すためにも、頑張って食べよう。ね?」
なにも生まれて初めて風邪を引いたわけでもない。フィガロの言ったことはおれも重々承知していることだ。幼い子供に言い聞かせるような言葉遣いにむずがゆさを感じつつも、ゆるゆると目線だけでうなずいたのを、フィガロはえらいねと、また幼い子供にするように褒めた。
「……うん、ありがとう。……あの、……ごめんなさい」
「うん? 病人を診るのは、医者の仕事だよ。君の主治医としてしっかり治すさ」
そう言って彼は部屋を出て行った。ガンガンと痛んでいた頭は、リケのシュガーのおかげか少しだけマシになった気がする。寝返りを打って、熱を出すのは、日本にいたころから数えてもかなり久しぶりだな、とぼんやり考えていた。
それからしばらくして運ばれてきたトレイにはおじやの入ったお椀と、幼い子供に対するご褒美のように、 デザートのみかんゼリーが鎮座していた。フィガロが卓上にビンを置く。先ほどリケが作ってくれたシュガーとはまた別のビンだ。フィガロが言うには、リケから話を聞いたみんなが、ミチルが用意したビンの中に少しずつシュガーを作って入れてくれたのだという。疲労回復にも効く魔法使いのシュガーは人間が買いに行くほど効果抜群なのだ。
色や形が様々なシュガーがつまっている様子はまるで宝箱のようで、そしてなにより、みんなの心遣いがうれしくて。ビンの蓋を開けて一粒つまみ、口に含む。これは誰が作ったシュガーなのだろう。口の中でとろけていくシュガーはそれでいて甘さがしつこくなくて、知らず識らずにほうっと息をついていた。
魔法使いのシュガーは、食欲促進効果もあるのだろうか。おじやとゼリーを食べたばかりだし、そもそも空腹感は全くなかったはずなのに次々食べれてしまいそうだ。もう二、三粒を自ら食べて、とろとろと、いくらか気怠さのとれた眠気に誘われた。
元々フィガロが医者だということを知ってから、体調面での相談はしていたのだ。疾患は身近な医者に話していないといざという時不都合があっては困るので、こちらにもその治療法はあるのかとか、あわよくば魔法のすごい力で何とかならないかな、という打算を込めて、ゲームのメインキャラクターである彼であれば悪しようにはしないだろうというメタ読みもありちまちまと相談していた。幸いにもおれの病気はこちらの世界の一般療法で何とかなるレベルのものだったらしく、フィガロから薬を処方してもらうことには成功していた。
ところがこちらの世界に来てから、いわゆる夢小説的な「トリップ特典」なのか、それともまほやく世界観でいう「賢者様としての力」なのかは定かではないが、おれの身体の様々な不調は徐々に寛解を見せていた。環境によって体調が変わるものならまだしも、普通は手術なりなんなりしない限り回復しない視力も含めてである。なので、おれは盛大に戸惑った。
そして、かなりテンションを上げていた。それはもうブチ上がりである。基本体調がいいし矯正視力よりもこちらの世界での裸眼の方がよく見えるのである。上がらないという方が無理というものだ。ちなみに、眼鏡は机の中にしまわれているが、眼鏡をかけ直す仕草をして空振りすることもあり落ち着かないので、近々伊達眼鏡でも欲しいな~と思って、結局まだ買いに行けていない。
次に目が覚めたら、外は真っ暗だった。時計を見ると真夜中で視線を巡らせてもフィガロはいない。きっと部屋に帰ったのだろう。その代わりに「気持ち梅干し」ののったおじやと、りんごゼリーがトレイの上に載っていた。添えられたメモの内容はこちらの言葉だから読めないけれど、紙を手に取った瞬間にフィガロの声が頭に響いた。
「おはよう、賢者様。晩御飯、ここに置いておくね。おじやは魔法で冷めないようにしておいたから、あったかく食べられるはずだよ。おだいじに」
なんと保温機能付きの、魔法版音声メッセージだった。
魔法のカってすごいな…。
なんて魔法に触れる度に思うのも、すっかりお約束のようになってしまった。
相変わらず食欲がいまいちながらもなんとか売食して、リケをはじめとしたみんなが作ってくれたシュガーをつまむ。おいしい。
さて、深夜というものはなんとなく考え込んでしまうものである。それは風邪っぴきの現在でも同じなようで、おれはベッドに腰かけながらここ一ヶ月のことを思い出していた。
一ヶ月である。月が締麗に撮れて「今日の月めっちゃでかくね?」の一言を添えてSNSにアップしたあの日。エレベーター経由で異世界にきて、「賢者様」などと仰々しい役職名でよばれるようになってから。
普段仕事なり日常生活なりに迫われているといつの間にか過ぎているものだけれど、この一ヶ月は特にあっという間だった。思い返せばこの一ヶ月間、ノンストップで来ていたように思う。前の賢者様が「賢者の書」に記述していたような、毎日がゴールデンウィーク……という風には、前回の<大いなる厄災>の被害が甚大だったから、あいにくと行かなかったけれど。やること自体は次から次へと舞い込みつつも、時間の流れ自体は穏やかで。しかし公私の区別がないというか。アンバランスな、あべこべな感覚はずっと感じていた。
なにしろここにいる魔法使いたちにとってはいつでもおれは「賢者様」で、そう呼ばれればおれは「賢者様」として振舞う必要があった。
みんなが快適に魔法舎で過ごせるように──おれにだって、快適な過ごし方なんてまだわからないくせに? 「賢者様」のふるまいのせいで、「賢者の魔法使い」であるみんなが軽んじられないように──そもそも、どうしておれが賢者なの?本来の主人公は? みんなを導かなければ──どこに、どうやって、どんなふうに? ……わからないけれど、おれは、おれなりに一生懸命やっていたつもりだ。
「……役割にのまれるなって、こういう意味もあったのかなぁ」
中央の国グランヴェル城で、オズに言われた言葉を思い出す。あの人は役職名ではなくしっかりとおれの名前を呼んで、役割にのまれて本来の自分を忘れるなと、そう忠告した。「賢者様」としての仮面を着けたおれは普段のおれよりもちょっと行動力があって、大勢の前でも堂々とした振舞いができて。そりゃあ、悪いことばかりではなかったけれど。それでも無理したツケが、きっと今この瞬間に来ているのだろう。
そもそもその仮面というのも、トリップ特典でも賢者様としての力でもなんでもなく。──異世界ハイとでも言おうか、 新しくできたテーマパークに来てはしゃぐ子供とおそらくそう変わらないものなので、はしゃぎすぎて体調を崩すこと含めて、遅かれ早かれ仮面が外れるのは当然の帰結なのだ。……いや、もしかしたらある程度は。何割程度かは、「この世界はゲームの中の世界だから」という、吹っ切りなのかあなどりなのかよく分からないアクセル装置もあるのかもしれないけれど。
「これからは素面で…人前にでたりしなきゃだよね…」
元々いくらでも引きこもっていられるタイプなので、逆に外に向けて出ていくことは、嫌いとまではいかないけれど少なくとも得意ではない。世界を救うのもむずかしいものだなぁと思った。
吐息のようなためいきをつきつつ、もらったシュガーをぱくり。舌の上でとろけるごとに、ちょっとずつ元気をもらえたような気がした。
次の日、おれはばっちりと目覚めた。一センチ指を動かすだけでも一苦労だった身体は嘘のように軽く、体調はすこぶる良い。気分も青天井である。普段通りベッドから降りて手をぐっぱーした。うん、 ふつうに動ける。
「フィガロ、おはよう! 治った!」
「え、ほんと?」
タイミング良くおれの部屋を尋ねたフィガロに申告すると、彼は昨日食堂でしたのと同じようにおれの額に手を当てた。彼の手は、これまた昨日と同じくひんやりとしていてとても気持ちがいい。気分を落ち着ける魔法でもまとっているのだろうか? うっとりと目を細めかけて──フィガロの言葉を聞き、 目を見開いた。
「うん、しっかり高熱だね」
「えっ」
改めて体温計で計ると、三十八度をしっかりとマークしていた。うそでしょ。
「高熱すぎてハイになってるんじゃないかな……」
うそでしょ。そんなことある? ……いや、昔知恵熱出したときも同じようなことあったわ。こういう体質は治らないものなんだなぁ。
「高熱でハイに……」
異世界ハイの次は高熱ハイってか。やかましいわ。いや、ちょっとまった。落ち着こう。疲労で熱を出したのだから、ほどほどのバイブスで行こうと思ったばかりじゃないか。異世界ハイという名のデメリットありのバフはきっとこの風邪で剥がれたのだし。だからこそ体調を崩さない程度に、そう、ほどほどに。いい感じに。
元より頑張ることは苦手なので、一ヶ月も頑張ってたのがむしろエラーなはずで。おれは基本的に無理はしたくない、どちらかというと怠情な、平均的な人間のはずなのだ。
「それで、元気な賢者様はご飯を食べる元気はある?」
「……ある!」
「それは重畳」
「あ、それ、夜ご飯ありがとう。温かく食べれたよ」
空になった器をさげるフィガロに言うと、彼は柔和に微笑んだ。
結局、主治医であるフィガロから完治という診断が下ったのは、熱を出してから三日後のことだった。久々に顔を見せたおれにみんながほっとしたような顔をするものだから、罪悪感がすごかった。迷惑や心配をかけたのはおれの方なのに、アーサーには賢者様がご無理をなさっているのに気が付かなくて申し訳ありません、なんて逆に謝られてしまったし。責任感が強い彼らに彼ら自身を責めさせないためにも、体調には一層気を付けなければならない。
「リケ」
リケは、中庭のベンチで本を読んでいたらしい。短文で構成された文字にかわいらしい挿絵がついたそれはどうやら絵本のようだ。おれの声にばっと顔を上げたリケは目を見開いて、本をわきに置いて駆け寄ってくる。彼はおれの両手を取り、しっかりと握って「…熱くない」ほっとしたようにつぶやいた。
「賢者様。もう、具合は大丈夫なのですか?」
「うん、おかげさまで。ばっちり治ったよ」
「……よかった……」
「……ごめんね、心配かけて」
おれがそう謝ると、 彼はキッと眉を吊り上げて、しかしすぐにへにゃりと下がってしまった。
「……はい、心配、しました。それに、賢者様は僕たちに疲れているところを見せたくないのかと、悲しくもなりました」
「あ、え、ごめん、えっと、でもこの前はほんとに自分でも疲れてる感覚が全然なかったっていうか、隠してるとかじゃなくって、ほんとに気付かなかっただけで」
「賢者様」
「はいっ」
リケの凜とした声で呼ばれると、思わず背筋が伸びてしまう。きちんとしなければ、という気持ちにさせられるのだ。
「賢者様は、選ばれし人間です。選ばれし人間として、 神の使途たる僕を導いてもらわねば困ります」
すっと、リケの胸元まで手を引かれる。目を伏せた彼は、まるで祈っているようだ。
「でも、そうする中で賢者様に困難が降りかかるのならば、 僕がそれを退けましょう。神の使途としても、賢者様の魔法使いの一人としても」
「リケ……」
「だから、夜遅くまで起きているのはいけません。以前もお伝えしたとは思いますが、 健康な体は健康的な生活から生まれるものです。 これからはネロの作るご飯をしっかり食べて、僕と同じタイミングで部屋に戻りましょう」
「……。え、リケの就寝時間ってめっちゃはやい……」
「賢者様?」
咎めるような視線を受けて、おれは暖味にうなずいた。リケは基本的に早寝早起きの生活だけど、おれの場合そうはいかずに早く寝た分しっかり睡眠時間に加算される気がする。リケのおかげで健康になっちゃうな……。
実際問題、書類仕事から魔法舎内で起こった出来事の対応など、 夜遅くまで賢者様としての仕事でバタバタはしていたので、それも改めるべきかなとは思っていた。文字が読めないからとクックロビンに頼むにも、いつまでも付き合わせるわけにもいかないし。
──ちなみにこれは余談だが、おれが寝込んだことはクックロビン経由でドラモンド卿にも伝わっていたらしく、見舞いの品と手紙が届いた。”なんだか回した仕事が早く帰ってくるなと思ってたら、やっぱり無理してたんじゃん。振る仕事はいっぱいあるけど、優先順位の高いものばかりじゃないし、クックロビンから働き者だという話は聞いてたけどちょっと働きすぎなんじゃない? 大丈夫? 美味しい果物食べる? 今ちょうど旬のものがあるから送っておくね。”という内容が、これでもかというほど遠回りな言い回しで書き綴られていた。ツンデレかな?(遠回しすぎて意味を解釈しきれず、読み上げてくれるクックロビンに「つまりどういう意味?」と複数回聞くことになったのは、正直双方に申し訳なく思う。でもドラモンド卿もお貴族様かつお役人らしく、ずいぶんと遠回しかつ堅苦しい言い回しをしてくるのでそこは許されたい。とにかくめちゃくちゃ心配してくれたことと、実際にはツンデレでもなんでもなく直接の部下ではない、ほぼ名誉役職という扱いづらい立場のおれに対して直球に「無理しなくていいよ」と書くこともできないおれへの気遣いは伝わってきたので、手紙の役割は果たされているはずだ。)
というか、こちらの基準が王子としての仕事と賢者の魔法使いとしての仕事のダブルワーク状態のアーサーになっていたから感覚が麻癖していたけど、やっぱり働きすぎだったのか。こちらの平均的な基準はクックロビンから聞くに、日本にいたころいいなぁと思っていた海外の働き方に近いようだから、ならアーサーももっと休んでほしい。彼の方がおれより断然働いている。なのに一ヶ月でへばったおれとは違いピンピンしている。どうして……休んで……。
じっとこちらを見つめるリケの黄金糖の髪に、フィガロから手渡された小瓶を思い出した。
「そうだ、リケ、シュガーありがとう。すごく美味しかったから、 すぐに全部食べちゃった」
「……! そうですか。……ふふ、賢者様は、虫歯にも気を付けなければいけませんね」
口調こそ釘を刺すような言い方だったが、彼は喜色と誇りをにじませてほほ笑んでいた。おれの手のひらをくるりと上に回して、その下から掬い上げるように彼の手のひらが添えられる。
「<サンレティア・エディフ>」
静かに呪文を唱えると、おれの手のひらには彼の魔力から作られたシュガーが乗っていた。彼らしく整っていて繊細な形をした、淡い色の砂糖菓子。
「病み上がりに、長話をしてすみませんでした。僕はいま絵本を読んでいたのですが、もしよければ、シュガーを食べながら賢者様もごー緒にどうですか?」
「……うん、よろこんで」
数日休んだから仕事が……と言いかけたが、休もうと決意したばかりなことを思い出して彼の言葉にうなずいた。リケに手を引かれベンチに腰掛ける。
この絵本は、いったいどんな話なのだろう。シュガーの優しい味に顔をほころばせて、リケの声に耳を傾けた。
2020/08/01