クロエに耳かき

「じゃあ、するね」
「うん、よ、よろしく」
「……大丈夫だよ、怖くないから。でももし痛かったら言ってね」
 緊張でいくらか肩をこわばらせているクロエは、おれに膝枕された状態でうなずいた。手持ち無沙汰な両手は丸められる前に肩の負担を和らげるだのなんだのてきとうな理由をつけて、この部屋がおれの部屋になったときからあったくまのぬいぐるみを抱かせたけれど、かわいいぬいぐるみを抱いているクロエはめっちゃかわいい。最高。はじめるまえから既に一仕事終えた気すらしているおれだが、息を吐いて気合いを入れ直す。癖のある赤毛を宥めるように撫でて、あらかじめ用意していたものを手に取った。

 耳かき。日本に住んでいれば皆おそらくした経験があるだろうそれは、こちらの世界でも一応存在していた。
 とはいえあまりメジャーな行為ではないらしく、おれが入手した耳かき棒は東の国のとある雑貨屋で手に入れたものだ。商品を手に取ってもしかしてこれは? いやでも、それっぽいだけの編み棒かもしれないし……と一人悩んでいたところ、店員さんがお目が高いですねと話しかけてきたのだ。使い方を軽く説明してもらい、あっこれほんとにそうなんだ……と。そういえばこっちに来てから全然耳かきしてなかったな、と思い購入。
 部屋に置いておいたのをクロエが発見。説明をしてもよくわからないといった様子だったのでおれがしてみせようかと誘い、今に至る。
 持ち前の好奇心で耳かきの誘いに二つ返事でうなずいたけど、やはり細いものを耳にいれるというのは緊張するらしい。少しでも恐怖心が減ればと、逐一声をかけることにした。
「最初は耳の外側ね。痛くない?」
「う、んっ……ふふ、くすぐったい……かも」
 耳たぶをつまみ、耳殻の部分をさじでなぞるように掻いていく。さりさり、柔らかい皮膚と産毛を数度往復させると、それまでは見えなかった粉が少しずったまっていく。
 ちょっと宝探しのような気分になってきた。息で吹き飛ばしてしまわないよう慎重になりながら、とれた垢をティッシュの上に置く。今まで耳かきの経験がないというだけあって、擦れば擦った分でてきそうだ。しかしながら、あまり擦っても傷ができてしまうだろうからほどほどでやめておく必要がある。平たいところでこれなのだから、くぼみを探ればより大物がでてくるだろう。そう期待を胸に、耳の平面とくぼみの境いめのあたりにさじを乗せた。
 溝にひっかけるようにしてゆっくりとなぞっていくと、思った通りぼろぼろと耳垢が皮膚から剥がれてく。日焼け跡のように帯状になってとれるところもあり、おれのテンションはうなぎのぼりだ。
「えー……すっごいとれる……楽しい…·…」
「お、俺の耳ってそんなに汚れてた…···…!?」
「ん! うーん、いや、みんなこんなもんだよ。大丈夫大丈夫!」
 そうそう人にやることはないのでかなりてきとうな答えなのだが、クロエを辱める意図も必要もまったくないので方便というやつだ。最近は魔法生物討伐の仕事もあって外を駆け回る機会もあったのだし、おそらくその時に付着した汚れもあるのだろう。
 自分自身、こちらの世界に来て初めて耳かきをしたときはごっそりとれたし――たぶん、これ以上は耳かきをしなくても自浄作用で排出されるという、マックス量なのだろう。
 耳の溝のつきあたりのところでくるりと軸をまわす。すると思った通り、匙の上にはごっそりと塊が乗っていた。普段から耳かきをしていてもたまるところだから、その習慣がないクロエならなおさら立派なものが取れるだろうと思っていたのだが。中々の収穫高ににんまりと笑顔が出てきてしまう。もう一度、二度と同じ箇所をなぞって残りの汚れもぬぐっていく。
「どう?痛くない?」
「うん、大丈夫だよ。全然想像がつかなかったけど、弱い力でも汚れってとれるんだね」
「そうだね、外側はまだいいけど、耳の皮膚は特にほかの場所よりも薄いから気を付けないと……よし、外側終わったから、中の入り口のところをするね」
「うん」
 すっかり肩の力は抜けたようだ。緊張が無くなると同時に余裕も出てきたみたいで、クロエの指はくまのぬいぐるみの手触りを確かめるように、ふわふわと動いている。その様子ににこにこご機嫌な気分になりながら彼の耳に視線を移す。手元の明かりで照らすとところどころ出っ張りがみえるので、まずは入り口から少しずつ掘り進めて、障害物を取り除いていこう。
 穴のふちに匙と柄の部分を引っ掛けるようにして、先ほどよりもさらに優しくなぞっていく。ここはお風呂に入ったとき比較的指に触れやすいところだから窪みに比べれば出てくる垢は少ない。ただ、いきなり深くに突っ込むのはクロエが怖いだろうし、おれとしてもどのぐらいの力加減が気持ちいいのか、痛くなるのかを探るために、外側から少しずつうかがう必要があるのだ。
 気付けばぬいぐるみを撫でていた手が止まって、指先が時折震えている。つま先も広げたり丸めたりを交互に繰り返していた。始める前に口を酸っぱくして「痛かったら絶対に言ってね」と伝えているので、何も言わないということは痛いというわけではないだろうけど――。
「まだくすぐったい?」
「う、うん……なんていうか、耳ってなれないからぞわぞわするっていうか……。でも、たぶんこれが賢者様の言ってた気持ちいい……なのかも」
「そっか。じゃあ、もう少し先に進めてもよさそうかな」
 触れる刺激が優しすぎるとくすぐったくなるけど、不用意に力を入れてもいけないし。ティッシュで匙をぬぐって、もう少し深くをかけるように耳かきを持ち直した。
「──…ん、」
クロエの耳通りをよくするために、先ほどよりも気持ち深く耳かきを中に入れて、とあることに気が付いた。少し濃いめの耳垢、やや粘度のある耳内、つついても崩れない障害物。
「クロエ、飴耳なんだね」
「あめ、みみ?」
 耳慣れない言葉をクロエはオウム返しにした。
「えっとね、ちょっと茶色っぽくて粘っこい耳垢のことを、飴耳って言うんだ。おれは粉耳ってやつで、乾燥してて黄色っぽいんだけど……。人種や遺伝によって変わるから生まれつきのものなんで、うーんと……ちょっと待ってね」
 そういえば、ヨーロッパ人は飴耳の方が多いらしいことを思い出す。こちらの世界の人と地球の世界の地域を単純に比較することはできないけれど、方角的にも西の国は飴耳の人が多くて、東の国は粉耳の人が多いとか、そういう傾向はあってもおかしくない。実際、粉耳の人向けの匙タイプの耳かきを買ったのも東の国のお店なのだし。
 クロエの頭を膝の上に置いたままなんとか手を伸ばし、ベッド横に置いた小さな棚の中から取り出したのは綿棒だ。
「クロエみたいな耳垢の質のひとは、これをつかうと取りやすいんだ」
「へえー……いろいろ形があるんだね」
「うん。あと、さっきは飴耳って言ったんだけど、ねこみみとも呼ぶことがあってさ」
「ね、ねこみみ……!」
「つまりクロエはねこみみ……なんちゃって。ふへへ、面白いよね」


2020/10/04