「クロエ、何かおれにしてほしいことあ……あれ?」
急ぎの仕事を片付けたあとはフィガロに巣作りとは? の講座を開いてもらった。どうしてほしいかは本人が一番わかってることだから本人に聞くのがいいよ。というアドバイスを胸に、足早にクロエの部屋へ戻ったのだが。そこはもぬけの殻だった。
いつもよりぽやぽやしてる様子だったし、どこかに出かけたなんてことはないはずだけど……と考えながら魔法舎内を探し回りやっと見つけた先はおれの部屋。
なかなか見つからなくて途方に暮れているおれにとって、通りがかったラスティカの「クロエなら先ほど賢者様の部屋に向かいましたよ」という一言はまさに福音だった。
おれの部屋へ勝手に入ることは一部の魔法使いはともかく、少なくともクロエはしたことがない。よっぽど切羽詰まった状況だったのだろうか――慌てて部屋の中へ入り、そしてぎょっとした。部屋の中央部、クローゼットの前にはこんもりと山が作り上げられていて、その中でクロエは丸くなっていた。
山を作っているのはクロエが作ってくれた服を中心に、とある村でもらったスカーフや、またとある街でクロエからもらった青い鳥のぬいぐるみがある。この世界でのおれの思い出の数々の中心に、彼は眠っていた。
後ろ手で扉を閉めて、ゆっくりと彼へ近づく。一歩踏み出したところで、つま先にあたる感触に見下ろすと、クロエの脱いだ靴が乱雑に転がっておりさらにぎょっとした。おれの部屋は土足厳禁で、敷いてある絨毯は肌触りにこだわった毛足の長いものを使用している。だからこそクロエが床に寝ていても問題はないのだが、いつも彼は靴を脱いだあと、きっちりそろえているのに。たぶん、途中で気付いたか急いで脱いだかしたのだろう。そこかしこの形跡から見られる慌てっぷりは相当だ。フィガロの話し方だと巣作り期間は穏やかに訪れて静かに去っていくというイメージだったのだが、個人差というやつだろうか。
踏んだら痛そうなものだけそっと横によけつつ、やっと手を伸ばせば彼に届くところへたどり着いた。乱雑に見えるとはいえせっかくクロエが作った山を崩すのは気が引けて。崩さないようにそっと彼の頬に触れたとき、ゆるゆると目が開かれた。
「賢者さま……」
「うん、おはよクロエ」
少し乱れた髪を梳く。クロエはそのまま視線だけ動かして回りを確認すると、手近にあった布を手繰り寄せて顔を隠してしまった。それは先月買ったおれのシャツだ。
「……ごめんね、賢者様」
「ん?」
布越しに、もごもごとクロエがつぶやいた。その声色はとても落ち込んでいるように聞こえる。
「勝手に部屋に入って……服とか、うぅ……びっくりした、よね」
「びっくりは……まあ、うん……したけど。でもそういう時期なんでしょ?」
「……いつもは、ちょっとの間ゆっくりしてればなんともないんだ。自分の箒を飾ったり、トランクの中身ひとつひとつを取り出したり整理し直したりして……でも、今日はどうしても、自分の部屋にいたのに、賢者様から上着も借りてたのに……ごめんなさい……」
接続が愛味な言葉には徐々に震えが混じっていく。相当参っているようだ。慰めるように髪を撫で続けて言葉を紡ぐ。
「おれは怒ってないよ、クロエ。びっくりはしたけど、それだけ」
「……怒ってない?」
おれのシャツを持ったままクロエは恐る恐る顔をのぞかせた。浮かんだ涙を指でぬぐって、なるべく優しく聞こえる声で問いかける。
「うん。……ひとつ教えてほしいんだけど、クロエの巣作りって、何をもって完成するの?」
「かんせい……」
「えっと……自分の空間にいい匂いがするものを集める人が多い、って聞いたんだけど……どうする? おれの服、いまからでもクロエの部屋にお引越ししようか?」
「俺の部屋に、お引越し……。……したい……ような……」
「ような……」
「うう……」
眉間にしわを寄せてクロエは懸命に考えている。うんうん悩んでいるところ悪いが、とてもかわいい。出会った頃はとっさに身を引きがちだった彼が、自分がどうしたいのかだけを必死に考えていることがうれしかった。もしかしたら巣づくり期間のせいでぽやぽやしてる影響もあるのかもしれないけど。
「……でも、賢者様の服で一回サークルを作ったから、今日はここがいい」
「うん、わかった」
「……大丈夫?」
「うん。いいよ、もちろん」
彼の前髪に指を絡めつつ答えると、彼は控えめに微笑んだ。
「――ねえ賢者様、きて」
中心にいたクロエが寝ころんだまま体を少しずらして誘う。二人が入るには、この輪は少しばかり狭い気がするのだが。どう入ろうか迷っていると、クロエが輪を押し広げた。あ、アリなんだ、それ。
そして切れた円をつなげるために、山になっている部分を均すように移動させる。すぐに円はつながったが、高さはどうしても目減りしてしまう。山を眺めてしばらく唸った後、彼はこちらに向き直って一言。
「賢者様、俺、もっといっぱい賢者様に服贈るからね」
きりっとした職人顔で宣言されてしまった。現時点で日本にいたころとは比べ物にならないぐらい服を持っているつもりなのだが、クロエ的にはまだまだ量が足りないらしい。
「……巣作りって、自分のでもするんだよね。クロエも相当衣装持ちだと思うけど、クロエの服と合わせたらいいぐらいの量になるんじゃない?」
そういうと彼はハッとした。が、その後に「賢者様のものオンリーでも作りたいような……」とぽそぽそ呟いている。やっぱりぽやぽやは完全に治まっていないようだ。
クロエが開けてくれた隙間に体をねじ込み、いざ輪の中に入り寝ころんでみると新鮮な気持ちになった。ものが少々――いやそれなりに――散らかっている以外はいつもと同じ自分の部屋のはずなのに、境界線が引かれている分、文字通り縄張り意識が目覚めるような気がする。
「……猫サークル……」
「……?」
「いや……ちょっと思い出しただけなんだけど、紐でもテープでも、何かでわっかを作ると、その中に猫が誘われてやってくるっていう……遊び? があって」
「……ふふ、じゃあ賢者様は誘われちゃったんだね」
「ええ? クロエに誘われたのはまぁ、そうだけど。おれ猫かなぁ……」
この世界の人々のルーツが猫だと聞いたのもあって思い出したようなものなんだけど、まさかおれが猫と言われてしまうとは。
戯れのようにクロエがおれの喉元をくすぐった。身じろぎをすると彼はくすくすと笑う。目を覚ました時のことを思うとずいぶんと落ち着いた様子だ。自分があやされているようで不思議な気分だけれど、クロエが楽しそうだからまあ、いいか。
2021/02/25
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