初吸い


 おれの世界には、亜人と呼ばれる人類がいる。例えば雪女だとかデュラハンだとかサキュバスだとか――伝承やおとぎ話に登場するような特異な体質を持った子供が、一定の確率で生まれてくる。最近は「デミ」という呼び方が、語感の良さから若者を中心に流行っている。
 かくいうおれもバンパイアの亜人(デミ)であり、この特質によって時折損をしたり得をしたりしたものの――概ねは、普通の子供と同じように育ったと思う。
 先人の努力により亜人に対する合理的配慮が徹底される法案が可決され、バンパイアの特性である吸血行為も月に一度血液パックを支給されることで、栄養素の欠乏を補っていた。とはいえ特性によってはまだまだ不便を抱えている亜人もいるのだが、その話は今回は割愛する。
 ところでうっかり異世界に来てしまい、一定期間ごとにあった血液の供給が無くなったおれは、食事による栄養補給も追いつかずに貧血を多発させてしまった。「魔法使い」という単語を聞いた当初に「デミのこと?」と聞くも、話が食い違ったことで何となく自分がバンパイアのデミであると伝えそびれていた。しかし原因不明で倒れるとなれば結局は説明せざるを得ない状況になり、その後はじゃあ血液の供給をどうするか、という話になった。
 そうなってまっさきに手を挙げたのが、おれの恋人であるクロエだった。

「――ええと、とりあえず以上なんだけど、大丈夫? なんか分かりにくいとことかあった?」
「ううん……大丈夫!」
 クロエは紙から顔を上げて深くうなずいた。渡した紙には吸血行為を受ける側の注意事項というか……強い痛みや違和感を覚えたらすぐに申し出るとか、吸血されたあとは十五分は座ったまま安静にしておくとか、水分をよくとるとか……基本的には予防接種や採血の注意事項と同じようなことが書いてある。おれのいた世界では同意のない吸血行為は禁止されており、同意なしに行われた場合、状況によっては法律で罰せられることもある。
 この世界ではおれの世界で言うところのデミとしてのバンパイアはいないらしいので(そもそも亜人という概念が人間とは全く別の、魔物という種族とほぼ同じ意味だったりする)当然そんな法律もないわけだが、現代人として生活してきたけじめだったり、血を提供してもらう以上、バンパイアとしての説明義務は果たすべきだと考えていた。
「もう一回説明するけど、バンパイアに吸血されたからってクロエがバンパイアになるわけじゃないから安心してね。あと、牙の痕は普通の傷痕よりも早く治るから」
「うん、わかった」
「……それじゃあ、ええと……袖、まくってもらってもいいかな」
「袖? 首とかじゃなくていいの?」
 あるあるな質問におれは小さく笑って答えた。
「ふふ……うん、首は血管が太いから、お互い慣れてからにしよう? ……あと、おれも吸血するのめちゃくちゃ久しぶりだから、汚さないように……」
 そうなんだ、と納得したクロエは右袖のボタンを外した。今までも腕まくりをした姿は何度も見てけれど「こういう」状況でまくった姿をみるのはどうしても見方が変わる。
 クロエの程よく筋肉のついた腕をみてゴクリと唾を飲み込んだ。無防備な腕が眼前に差し出される。
「……どうぞ、直隈?」
 彼の手首を引いて、口を開けた。
 いつもは八重歯程度の牙が興奮で長くなっているのを感じる。
 クロエも気付いたのか息を呑む音が聞こえて、怖くないように、安心してほしくて指を絡ませると握り返された。
「……いただきます」
 ぷつっ、肌を破る感覚が伝わり、牙を通してクロエの血液が口の中に広がる。瑞々しくて、喉を通る度に身体の隅々まで染みわたっていくようだ。何度か夢中で嚥下して、けれど一度の吸血量の目安を思い出して名残惜しく思いながらも牙を引き抜く。牙を追うように溢れた血だけを舐めとって止血した。
 バンパイアの牙の中には血を固まりにくくさせる成分の分泌液があり、逆に唾液には血を固まりやすくさせる成分が含まれている。先ほどクロエに言った牙の痕は普通の傷より治りが早いというのも、唾液に含まれる成分の影響だ。
 彼の腕についた二つの痕にちょっとした征服感を感じつつ、唇に残った彼の血を舐めとり身体を離した。
「ごちそうさま。……あー……、痺れてる?」
「う、っだ、大丈夫……」
「無理しないで」
 そして、バンパイア特有の分泌物には、相手の身体を痺れさせる効果もあったりする。生物学的には吸血する相手を逃がさないようにするための進化なんじゃないかって考察がされているけど、詳しいことはまだわかってないらしい。
 以前知人の血を吸った時に言われたのは「一時間ぶっ通しで正座してたのが全身にキてる感じ」だそうだが、徐々に耐性が付いてくるはずなので最初の方は……そう、我慢していただくという方向で話はまとまったのだけれど。
 しびしびしているクロエは手をぐっぱーさせて軽減を図っているようだ。あらかじめ用意していたドリンクを少しずつ飲みながら彼は口を開いた。
「……俺の血って、美味しかった?」
 好奇心の眼差しを隠さないまま彼は尋ねる。今まで同意の元吸血行為を行った彼らもだいたいそんなことを聞きたがったなと思い出し、笑いを含ませながら答えた。
「……うん、今まで飲んだどの血よりも、美味しかった」
「えっ」
 おれとしては極上の返事をしたつもりだったけれど、彼からすればすんなりと受け止められるものではなかったらしい。ワクワクとしていたはずの彼の様子が、やや不安げなものに変わっていく。
「そ……ほ、ホント? 俺に気を遣ってたり……しない?」
「ほんとだよ、なんで疑うの?」
「えーっ、だって俺、特別健康に気を遣ってるってワケじゃないし、徹夜とかもしてるし……」
 徹夜を繰り返すのは心配だからやめてほしいのはあるけれど。おれは彼の血が美味しいと感じてから頭の中にずっと浮かんでいたニュース記事を思い返していた。その不自然な間にやっぱり言い過ぎなのでは……? と疑念を濃くしたクロエを追いかけるようにして口を開いた。
「――一説によるとね、」
「……うん? ……うん」
「バンパイアが美味しいと感じる血って、提供先の健康状態によるっていう面もあるんだけど、それ以上に……相性みたいなものがあるんだって」
「相性?」
「デミが生まれること自体低確率で、その中からバンパイアってなるともっと低確率だから……研究もほぼ進んでない眉唾物だと思ってたんだけど。とある研究によると、恋人や伴侶の血は特別な感じがすることが多いんだって」
「……」
「……と、特別な感じ……」
「うん」
「したの? ……俺の血が?」
「……うん」
 かろうじて表情は取り繕っているものの、顔の熱さが半端じゃない。けどまあ、クロエのかわいい表情がみれたし、お相子ということにしておこう。


2022/05/31